天地人:第37回「家康への挑戦状」

会津に戻り、道を整備するなど内政に尽力する兼続。そして上杉家にとっては大きなイベントが、謙信の23回忌でした。これには越後にいた仙桃院も参列したのですが、現在の春日山城主である堀秀治が上杉の謀反を疑っていることを告げたのでした。
この報告は家康にも届き、やがて上杉に上洛を促す書状が届きます。謀反の疑いがあるからという理由ですが、素直に出向いては危なく、また無視してもお家取り潰しになってしまいます。
兼続は上杉の潔白を訴えるため、家康のみならず諸将たちにも長い書状をしたためます。世が家康と上杉のどちらを信じるかという、正に、関が原の合戦の引き金にもなったと言われる渾身の書状は「直江状」と呼ばれているそうです。
この直江状は家康の理不尽さを問いただす内容だったため、家康は大いに腹を立てることになります。早速上杉討伐のため、諸将に呼びかけて兵を集めます。その数、およそ十万の兵力が会津に向かいました。
もちろん兼続も手をこまねいているはずもなく、会津の南にある革籠原に防塁を築きます。上杉軍の兵力は5万とはいえ、この場所に大軍を誘い込んで奇襲を掛け、敵を混乱に陥れる作戦を練っていたのでした。兼続は、この砦が義を守り世の中の清さを守る重要な場所だと語ります。
一方、先の直江状を読んだ三成も家康の所業を止めるべく、自分に出来ることを探していました。まずは知人の大谷吉継を説得し、続いて毛利輝元を総大将として家康討伐の兵を集めます。これまた十万の大軍となりました。
この話は家康の下にも届きます。秀頼を奉じるのは自分たち側とする三成を討つべく、上杉軍と接触する前に西へと軍を向けます。
この状態なら、三成の軍と上杉軍で家康を挟み撃ちにできるので、兼続は景勝に進軍すべきと伝えるのですが、なんと景勝は反対します。幾ら許せぬ敵とはいえ、背後から襲い掛かるのは上杉の義に背く行いであると。
兼続は空しさを感じつつもその命に従い、徳川軍を見送ることになりました。こうして、東軍と西軍がぶつかる関が原の合戦が始まるというところで終了です。
私は史実の方を知らなかったので、ここで上杉がドカンと大きい戦をするのかと思っていたのですが、空振りになりましたね。最も、北から伊達や最上が攻めてくるため、戦そのものはしていましたが。
あと直江状については、私は初耳でした。放送では「これが世に言う直江状です」と、非常に有名なものという紹介だったのですが。歴史の授業では聞いた覚えがなくて。
ともあれ、次回は非常に大きな戦が幕を開けます。上杉はその中でどういう役割を担っていくのか、楽しみにしていきたいですね。
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