風林火山:姫の死

前回は、由布姫が病により血を吐いたところで終わっていました。今回はそれを受けて、勘助が晴信から聞くことにより、その事実を知ります。由布姫本人からも、もう先が長くないと言われて悲嘆に呉れる勘助。
晴信は由布姫に、今後の武田軍の進め方について意見を聞きます。これまでノータッチだった木曽を攻める必要が出てきたためです。由布姫は、木曽を攻めてから武田の姫を差し出すことで、木曽は武田に忠義を誓うだろうという策を案じます。
このため、武田軍は木曽攻めを始めることに。勘助は由布姫の元に挨拶に行った際に、一つだけお願いがある、と強く言われます。その内容は「嫁を取れ」ということ。勘助はこれまで渋ってきましたが、最後には折れて約束します。
この木曽攻めの途中、景虎が再度挙兵をして川中島へ兵を進めました。前線の城に陣取った真田らのおかげで、長尾軍もなかなか攻め入れずに膠着状態に陥る両軍。そのにらみ合いは200日にも及びました。
勘助はこの状況を嫌い、雪斎に依頼して長尾軍と和解する道を選びました。最初は「武田と和解など出来ない」と強く拒む景虎でしたが、雪斎の話術によりこの場は兵を引くことにしました。
雪斎は駿河に帰ってから、先日元服したばかりの松平元信に酌をさせていたのですが、その途中に病気が急に悪化して倒れ、その年の内に亡くなりました。今川にとって重要人物であった雪斎の死は、今後の今川軍に強い影響を及ぼしていきます。
そして、由布姫の病状も悪化し、既に息も絶え絶えの状態になっていました。晴信は姫の下に駆けつけ、四郎の元服後の名前を「勝頼」とすることを宣言します。そうして晴信の腕の中で息絶えていくのでした。
勘助はその頃、まだ木曽攻めを急ぎ進めていました。そうして最後の木曽勢が攻め入ってきた時、それを迎え撃とうという時になって、姫の訃報が入ってきます。勘助の慟哭で今回は終了です。
歴史に詳しくない人でも、武田勝頼が晴信の後を継いでいることはご存知でしょう。その母親である由布姫の意志はここで途切れてしまいますが、結果として勝頼が残ると。
第2次川中島の合戦が今回のテーマの一つではありますが、これはにらみ合いが長く続いたせいで、刀を打ち鳴らしあうような戦いではなかったんですね。川を挟む戦いだけに、先に手を出した方が負けとなるのはお互いジレンマでしょう。
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