天地人:第40回「上杉転落」

関が原の戦いが終わり、着々と戦後処理が進んでいました。家康は西軍所属の諸将に容赦のない沙汰を下し、途中から寝返った者にも減封など厳しく対応しました。
そんな中、上杉にも上洛の命が下り、景勝と兼続は家康に対面します。しかしこんな状況の中でも、上杉は自らの義を信じて行動したと主張し、頭を下げることはしませんでした。当然ながら家康は面白くありません。
さて、家康にはああ言って見せたものの、上杉がお家取り潰しになる事態は死んでも避けたい兼続は、ある策を案じます。それは、本多正信に将来の直江家を譲る…つまり、本多の息子を婿養子として迎えるということ。この場ですぐ返事は出ず、考えてもらうことに。
この話をお船にすると、嫡男である竹松が不憫だと反対されます。しかし、兼続が上杉家にかける忠誠心は半端なものではなく、名門である直江家を譲ってでも生き延びさせたいという想い。苦しみは自分が引き受けなければならない、とお船にこぼします。
一方、上杉を滅亡させてはならないという意見を持った者も少なくありません。まずは福島が気落ちして体調も崩した小早川に会い、小早川は戦時の行いに責任を感じて淀に嘆願します。
淀は家康を呼び、上杉を取り潰さないよう願い出ますが、家康は予想通り上杉に厳しい処罰を下す考え。ところがここで、秀頼からも上杉を救って欲しいと言葉があり、それに続くように福島も豊臣の家臣としての行動を促します。
こうして様々なところで裏工作があり、上杉への沙汰が下る当日を迎えました。結局、米沢30万石へ移封となり、取り潰しだけは何とか逃れました。とはいえ、120万石あったのが4分の1になったわけですから、家臣たちは不安で色めきだっていました。
兼続は家臣たちの前に出て、今回の苦しみを国の立場から、そして家臣たちの立場から話します。最後に、上杉を信じて着いてくる者は全員米沢に連れて行くと宣言しました。
義では腹は膨れない、と自らも言っていた兼続でしたが、出立当日の朝に屋敷を出ようとすると、家臣たちが勢ぞろいしていました。家臣6千と共に、兼続は米沢に向かっていったところで終了です。
今回の話は現在の日本の状況にも通ずることがあり、非常に興味深く観ていました。会社の資本金が大幅減となり、しかしリストラ策を取らず皆で苦しみを分割しようという演説、それに答える家臣たちの一枚岩ぶりに感動したのです。
まあ、家康が力を手にしたことも「政権交代」でタイムリーですしね。計ったようなタイミングで面白いです。
今後の貧乏生活を兼続らがどのように乗り切っていくのか、またこの後には大阪冬の陣と夏の陣があり、そこまで放映していくのかを見守っていきたいと思います。
(公式:http://www3.nhk.or.jp/taiga/index.html